ひとつのあやまち
今でも鮮明に思い出せる1つの過ち。それを巻き戻せるのなら私は──
「他愛ない・・うつろうもの、ヒトが神に立ち憚る事こそが愚かなのだ」
ヒトは脆く脆弱であった。私を“神”と知るや否や逃げ出すならばまだ賢く、愚かな者はそれでも私へと立ち向う。
立ち向かう?・・・そう称するも愚かしい。己の生命を散らすだけの愚行。
竜の力によって消え去った嘗てはヒトであったモノ。『うつろうもの』と呼ばれていたモノ。
嗚呼、今もそうだ。背後から私を狙う雑兵の気配。
その程度で後ろを取れたと思っているのだから滑稽でならない。全く、愚かしい。
ふと飛び出してくる気配。その雑兵とは別の、常に傍らにあるソレ。
後ろを向けば今まさにが私と雑兵の間に割り込み、斬り捨てられる瞬間が目に飛び込んだ。
「──・・・ッ!!!」
自分でも驚くほど焦燥した声。抱き上げればその鋭利な切り口、大きく裂けた肉が僅かに口を開けた。
噴き出す鮮血は熱い程の熱を帯び、生命を流しているのだと錯覚させる。否、ほぼ同等の意なのだろう。
肌は青白く、濃い茶の瞳には光が無い。常に向けているような気の抜ける間抜けな顔は微塵にもみられなかった。
幾度か名を呼んでも反応はない。
「愚かな、ヒトよ──」
を斬り捨てた雑兵は既にこの世から消えていた。本来ならば一瞬で消せる程度の相手。
私の慢心から起こしたソレは酷く腹立たしく、同時に嘲弄の意すらも浮かぶ。
愚かしいのは私自身なのやもしれない。
──プツ・・
爪での胸元の皮膚を裂く。愚行を犯すのは承知で・・それでも何故かこのまま死なすのは惜しかった。
えもいわれぬ思いが胸中を渦巻き、ただ己の指先を強く噛み滴る血をの胸元から流れる血液と混ぜた。
途端、の身体が跳ねる。
「・・・・い゙、ぁっっ!!?」
眼を見開き、苦痛に悲鳴を漏らす。私の血・・今までとは違う力を混ぜたのだ。そうなるのは明白。
これに耐えられなければどちらにせよ生命を落とすだろう。知りながら、それでも喪うまいと試した。
「・・・やっ・・ぁ・・・・・っい・・・・!!」
もがくように腕を伸ばし、そのまま私にしがみ付く。
瞳からは涙を零し、締まりない口からは唾液を流し。そうしてはただ助けを請うた。
何に対してでなく、ただただその言葉を口にし続けた。
「た・・・す、・・・はっ・・・・・・ぃ・・・・たぁ゙っ!!」
その瞳が本来の茶から金になり、混ぜた血液がまるで宝石のように凝固した頃、漸くは叫ぶのを止めた。
己が愚行は成功したのだ。は生き永らえる事となった・・・我がガーディアンとして、ヒトを捨てる事によって。
「・・すまない」
私は一体何に謝ったのか。ヒトならざるモノに変えてしまった事か、それ以前に救えなかった愚かさにか・・。
は肩で呼吸をし、呆然としたその瞳が私を映した。唇が私の名を形作る。
「・・?何で謝るの?」
不思議そうに紡がれた言葉には覇気が無い。それでも徐々にハッキリとその瞳が私を捉えた。
何も答えぬ私に、足りない頭で何かを思ったのだろう。は一頻り悩んだ後に口を開く。
「ありがとう」
それに、唯言葉が詰まる。己の自己満足で繋ぎとめた生命、それに礼を言うのだ。
やはり何も答えぬままの私に、ただ困却するような顔をして今度こそ黙りこむ。暫しの静寂。
それでも体温が私に伝わり・・・・・あぁ、今でもおかしな話だと自分で思う。
あの時の私は、酷く安堵したのだから。
しかして私の犯した1つの過ちを娘は笑い、そして変わらぬ笑みを浮かべ、変わらぬ時を過ごす。
それでも私は今尚願うのだろう。もしあの時へ戻れるのなら──と。