鳥篭の夢

病に臥せる日の話



目覚めて一番に感じたのは全身に纏わり付く様な倦怠感だった。

「ぅ・・・」

寝起き特有かと思ったが、寒気と体の怠さ、筋肉の軋む感覚に眉をひそめた。
この感覚に覚えはある。子供の頃はよく体調を崩しては寝込んでいたからな。
ダンカン師匠に弟子入りをしてから年々病気で寝込むという事が無くなっていたから、つい無理をしてしまってたのかもなぁ。
鍛えていたとしても、やはり根本的な体質改善にはまだまだ足りてなかった可能性もある。

「・・・頭いてぇ」

ぼんやりと呟いて俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
鉛のように重たい体は動かすのも億劫で、そのまま目を閉じるがなかなか寝れる感じでもない。
どうしたもんかな?等と回らない頭で考えていれば、部屋の扉が幾度かノックされる音。

「マッシュさん?もう朝ごはんの時間過ぎてますけど・・・寝てらっしゃいます?」

カチャリと小さな音。朝食の時間になってもなかなか来ないから見に来てくれたんだろうか。
がわざわざ俺の所に来るのは珍しいが、誰かに頼まれでもしたんだろうな。
返事が無いからか不思議そうに俺に近付いてきて怪訝な顔で俺の額に手を当てる。
小さくてヒンヤリとした手の感触が心地良い。

「ごめんなさい、ちょっと失礼しますね」

真剣な瞳。僅かに青がかったグレーの瞳が間近に見えて綺麗だと思った。
・・・・・・なんで、こんなに近いんだ?
霞んだ頭で考えていればそのまま顔は離れて、今度は片方の手首を掴まれる。

「脈拍もちょっと早い・・・ですかね。
マッシュさん、今暑いですか?寒いですか?」
「・・・・・・寒ぃ」
「分かりました。そしたらまだ熱が上がりそうですね。
おば様に毛布を借りてきますから、そのまま寝ててくださいね」

上掛けを俺に掛け直すと、は少し慌てたように部屋を出ていった。
静寂。だけど部屋の外は慌ただしい雰囲気が漂っていて、自分がそうさせてるんだと理解する。
暫くしてが毛布を何枚か持ってきて俺にどんどん掛けていく。
と、その後ろから師匠の奥さんとアリシアさんが心配そうな顔で入ってきた。

「大丈夫ですか?マッシュ。
最近は熱を出す事なんて無かったからから聞いて驚きましたよ」
「すみません、心配をお掛けしてしまって・・・っ」
「わっ!マッシュさん、起きたら───っ!」

起き上がろうとして上体がふらついたのをが支えてくれる。
いや、ちょっと待て。体格差を考えると潰しちまわないか?これ。

「ほらほら、今は寝ていなさい。
折角が心配してくれているのですよ?甘えて横になっていれば良いわ」
「おば様、何故そこで私の名前を出すんです?」
「ふふ。良いじゃないの、
折角だから貴女が薬を処方してあげれば?」
「あれは・・・流石に身内以外にお出しするのは怖いのですけど」
「あら、良く効くのに勿体ないわ」

はアリシアさんの言葉にごにょごにょと小声で反論しながら、俺が横になるのを手伝う。
会話しながらも水差しの水をボウルに張って、手ぬぐいを濡らして俺の額に乗せた。あー・・・気持ちいい。

「それに一緒に住んでいるんだからマッシュ君も身内よー」
「なんて強引な・・・」
「ふふふ。とりあえず何か温かいものを作ってくるからはそのままマッシュ君を看ててあげてね」
「あ。でしたら・・・アレをお願いしても良いですか?」
「アレね。分かったわ、確かに効くものねぇ」

ニコニコ顔のアリシアさんと奥さんはそのまま部屋を出ていった。
は一度ため息を吐くと、俺へと向き直る。

「すみません、ちょっとお口開けてもらえますか?」

言われるままに口を開ければ、は陽の明かりで中を覗いた。
真剣な瞳。まるで医者みたいだなぁなんて昔を思い出した。

「喉も少し腫れてます・・・風邪の症状みたいですが。
咳は出てないですよね?マッシュさんって持病とかはあります?」
「いや、元々子供の頃から熱は出やすい方なんだ。
も俺に付き合わなくて平気だからな」

奥さん達はああ言ってたが俺ももういい大人だからな。
付き添って看病してもらうってのも申し訳ない。

「それは私が好きでやっていますのでご心配なく。
すみません、調子が悪い時にあれこれ聞いてしまって」

何かを指折り数えながら、は柔らかく笑んだ。

「ちょっと必要な物をとってきますね。
熱が高いのは少し心配なのですが、ちゃんと寝ててくださいね?」
「ああ」

念を押す姿に苦笑しながら頷けば、は部屋から出ていった。
しん、とした静寂。さっきまでと違った誰もいない温度の無さが無性に寂しさを感じさせる。
熱の所為だな、これは。熱が出るとどうしても気が弱る。
カチャリ。扉が開いた先にはアリシアさんの姿。手に何か持ってるのは・・・あれか、が何か頼んでたな。

「あら、は?」
「必要な物を取りに行くと・・・」
「あらまぁ、必要な物なんて言ってくれたら幾らでも取りに行くのにねぇ」

くすくす笑いながらサイドテーブルに置かれたソレからはふわりと良い匂いがする。
お茶?でも、普段のとは少し違った匂いも混ざってるような?

「・・・あ、これ?ジンジャーハニーティーなんだけど知ってるかしら?
うちの村では風邪を引くとまずはこれを飲むのよ」

“体も温まって良いの。体を起こせそうなら少しいかが?”と続けてくれる。
折角だからと軋む体をゆっくり起こせば、ティーポットからカップへと注いでくれた。
熱だからかあまり味が分からないが生姜の辛味と蜂蜜の甘味が体に沁みていく気はする。

「あ、もう出来てたんですね。マッシュさん、体を起こして大丈夫ですか?」
「おう」

一度頷いて見せれば“なら良かったです”と、ホッとしたように笑う。
それから思い出したようにアリシアさんへと向き直った。

「すみません、お母さん。幾つか足りない物があって・・・」
「これとこれ、後は・・・・・・ここら辺かしら?
前にそろそろ無くなるって言ってたから出しておいたわよ」
「っ・・・·我が母ながらなんて用意の良い・・・」
「そりゃあ貴女の母親だからね」
「とにかく、ありがとうございます」
「どういたしまして。足りないものがあったら今度は言ってよ。
家の事はこちらでするから、はマッシュ君をお願いね」
「勿論です」

似た色合いと顔が、くるくる表情を変えていく。
声も似てるのか。楽しそうにしてても呆れていても響く2つの音は何処か心地いい。
暫く話している姿をボンヤリと眺めていればアリシアさんが俺の視線に気付いてか、何事かをに囁いて部屋を出た。
会話の邪魔をしてしまっただろうか。はどこか呆れた様子で見送っているから分からんが。

「マッシュさん、大丈夫ですか?
んー・・・また熱が上がっているような」

コツリと額がくっついてヒンヤリと冷たい感触に目を閉じる。

「そうか?でもさっきより体は温まった気がするが・・・」
「お茶の効果が出たなら幸いです。
私も小さい頃、熱を出した時にはよく飲みましたから」

少し冷めたカップを俺の手から受け取って、は横になるようにと促す。

「水分補給は大事ですが、あまり無理して飲んでもいけません。
体が温まったなら少し寝ておいた方が良いですよ」

横になると、ぐらぐらと視界が回る。
深く息を吐けば、額にまた冷たい手ぬぐいの感触。

「・・・
「はい?」

俺は何を言おうと思ったのか。

「そばにいてくれ」
「はい、勿論良いですよ」

頭がぐるぐると回っているみたいで、自分で何を言ったかも分からない。
の返事がとても柔らかい声音だったから大丈夫だろう。
小さくて柔らかい感触が手に触れて、それが酷く安心するものだから俺の意識はそのまま落ちていった。


夢を見ていた。
幼い頃。兄貴と親父がいて・・・俺達を産んでから床に伏していたお袋もまだ元気だった頃。
あの頃は皆が笑顔で、沢山の本を読んで貰ったり、歌をうたって貰ったりしてたっけな。

懐かしくて、幸せで・・・今はもうない────


「っ!?」

心臓がぎゅっと掴まれたようなそんな感覚で目を覚ます。
昔の夢・・か。まだ両親が生きていた頃の。心臓が煩くて、何度か深呼吸して落ち着かせる。
久しぶりにあんなの見たな・・・。夢でも両親に会えたのは嬉しいが、同時に今はないのだと理解していて切なくなる。
と、不意に小さな音が聞こえて──これは歌・・?か。ゆっくりとした曲調の、優しい歌。
見れば、が歌いながら何かを作っているようだった。熱の所為なのか部屋に光が降り注いでいるようにも見える。
ちらと視線が自分に向いて、やや驚いた表情と共に部屋の光が消えた。熱の所為じゃない?・・・あれは何だったんだ?

「ごめんなさい、マッシュさん。起こしちゃいましたか?」
「ぃゃ・・・」

声が掠れて上手く出ないがそれでも聞こえたようではふわりと微笑んだ。
それから俺の額や首元へと手を当てて熱を確認すると、僅かに眉根を寄せる。

「む・・・まだ結構熱いですね。
んー・・・・・・熱が長引くのはあまり良くないのでお薬を飲んでしまいますか」

“念の為に作っていた解熱剤が丁度出来た所なんですよ”なんて笑いながら手の中にある器に白湯を僅かに注いで混ぜた。
僅かに体を起こしてから渡されたソレから漂ってくる匂いはそんなに悪くはないが・・・。

「まぁ、あまり美味しいものではないですが」

言葉に僅かに苦笑しながら、俺は器の中身を一気に飲み干す。
確かに美味い物ではないが・・・そもそも薬に美味しさを求める方が間違っている気がする。
寧ろ特有の苦味が無い分、幾らか飲みやすい位だ。

「白湯の残りですがどうぞ。口の中が変な感じしますよね。
後、副作用で眠気が出ますから眠くなったらそのまま寝ちゃってくださいね」

頭がぼうっとするのはその所為なのか、そもそも熱の所為なのか。
白湯を飲んで口の中をスッキリさせてそのまま横になる。起き上がるにはまだ少しツラい。

・・・」
「はい、どうしましたか?」

呂律が上手く回ってない俺の呼ぶ声にも、すぐさま反応してくれる。
柔らかくて心地好い声が、薬よりも眠気を誘う。

「さっきの・・・うた」
「歌?さっきの子守唄ですか?」

“五月蝿かったですかね”なんて、呟く言葉に緩く首を横に振った。

「もっと、きかせてくれないか?」

ねだる言葉には幾度か瞬いて、それから笑みを見せる。

「はい、良いですよ」

柔らかな声と、触れた小さな手が酷く安心できて。
ゆっくりと意識が溶けて闇の中へと落ちて───。


「────ぅわっ!?」
「はい?」

目覚めたすぐ横には何故かがいた・・・というか俺、寝てたのか。気付かなかった。
正確には自分が引っ張り込んだのだろう。彼女の細い腰にはしっかりと俺の腕が絡んでいて慌てて離す。

「おはようございます、マッシュさん。
とはいえもう夜ですが・・・熱は下がったようですけれど調子は如何ですか?」
「いや、かなり良くなったが。ちょっと待ってくれ、何でそんな平気な顔して・・・」
「病人に抱き枕にされて怒るほど狭量な人間のつもりではないのですが」

確かに病人だが・・・熱で身動きがほとんど取れなかったとはいえ寝台に引っ張り込む程度の力はある訳で。
何と言えば良いのか口を開閉させていればは“あ”と気付いたように声を出す。

「それだけ元気になられたなら次は栄養も摂らないとですね!
おば様達に軽めのものをお願いしてきます」

するりとベッドから何事もなかったように降りるとは部屋を出ていった。
彼女の様子から察するに本当にただ抱き枕にしていたのだろう。
考えて、一瞬だけの女性特有の柔らかさと匂いを思い出して慌てて首を横に振る。

「何やってんだ、俺は・・・」

別の意味で熱が出そうだ。



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