感情/気付いた事実
「如何しよう野ばらちゃん。アタシ、変になっちゃったかも」
酷く真剣な顔であたしの部屋まで来たは、そう告げた後でそのまま俯いた。
じわりと滲む涙はとてもメニアック・・・いいえ、それだけじゃない。純粋に心が痛くなってくる。
「、大丈夫だから・・・ほら涙を拭いて」
「うん」
「中に入って。紅茶位ならあるから」
「・・・ありがとう、野ばらちゃん」
肩を抱いて部屋に入れ、近くのソファに座らせる。すとん。まるで小さくなった可哀想なの姿。
備え付けのキッチンへ向かってティーバックの紅茶を淹れ、急いで彼女の元へと戻る。
彼女の繊細な味覚を考えると美味しくはないかもしれないけれど生憎あたしの部屋に上等な飲み物は無いのよね。
“ありがとう”と消え入りそうな声でお礼を言って、は紅茶を口にする。
「それで、一体何があったの?」
伏せられた瞳。僅かに言葉にするのを躊躇うように、唇を引き結ぶ姿。
あぁ、そうやって逡巡する姿もとても可愛いわ。メニアック!
思い切り抱きしめちゃおうかしら?なんて衝動を抑えながらの言葉を待った。
「あの・・・あのね。最近、ずっと変なの。
良く分からないけど蜻蛉が傍に来るとドキドキして・・・嫌じゃないのに胸が苦しくなるの。
だからっていないとそれはそれで不安?じゃないけど、もやもやするし。
一緒にいると割と楽しいし、嫌いじゃないのは分かるんだけど、じゃあ好きかって思うと何だかちょっと違う感じだし。
これって何なのかな?こんなの初めてで、どういう状態なのか分からなくて。
アタシ、もしかして何処かおかしくなっちゃったのかな?病気とか」
「それって・・・」
つまり、所謂“恋”というやつじゃないの?言いかけて言葉を飲み込んだ。
だってが?大切な大切なこの子がよりによってあの変態に?取られるのは嫌。なんてチープな感情。
「野ばらちゃん、分かる?」
じっとあたしを見る瞳は何時もと何ら変わらない。あるのはただ絶対的な信頼。
適当な返事を返しかけて・・・・口を噤んだ。この信頼を裏切る事はあたしには出来ないわ。
嗚呼、可愛い可愛いあたしの。
救い出すまで、ずぅっとあの悪意の塊のような部屋に押し込められていた可哀想な子。
あたしを見つけては後をついてきたり、ニコニコと可愛らしい笑顔を見せてくれるまで随分かかって。
だけど今度は逆にずっとあたしの傍にいるようになってしまった子。
外の世界を見せたかったのに、自由にしたかったのに、逆に依存するようになってしまった・・・。
あたしがSSを始めたのは、実家を頼るのも嫌だったっていうのもあるけど、を自立させたかったから。
いいえ。だけどそう思っていたのは驕りだったのかもしれない。唐突に、突然に理解してしまう。
嗚呼、本当に可愛い。
感情らしい感情を持つ事も許されず、常に与えられた環境で自分を必死に作り上げた。
あたしが引っ張り出した自由も、結局この子にとっては突然に与えられた環境でしかないのに・・・。
なのにあたしは勘違いしていたんだわ。
自由にした事で満足してしまった。その世界をあの子が理解する前に放り出してしまった。
何時だって慣れない初めての環境で、必死に助けを求めていただろうに・・その手を振り払ってしまった。
依存しているんだと勘違いしていた。あれは頼れるのがあたし以外にいなかっただけだったのに。
「野ばらちゃん?」
不安な瞳。今度こそ助けなくちゃ・・・この子を。不安から救い出さなくちゃ。
そんな感情が芽生えて、強く強くを抱きしめる。
そうよ。あいつに取られるかもなんて、チープな嫉妬。こんなのは下らない感情だわ。
「。大丈夫よ、不安に思う事はないの」
抱きしめた腕を解いて、肩にそっと手を置いて、出来るだけ優しく優しく語りかける。
「変になったんじゃないわ。それは自然な感情なのよ」
「そうなの?野ばらちゃんも、こういう事あるの?」
「ええ。そうね」
本当を言えば、実際になった事はないのだけど・・・。
だってあたしは男は汚いし、五月蝿いし、サイテーだと思っているから。
それでもは安心したように、ほぅと小さく安堵の溜息を吐いた。
「良かったぁ・・・」
「でもこれは誰かに言われて気付く感情じゃないの。
だからゆっくりでも良いから自分で気付くように努力をするのよ」
「うん、分かった」
に“恋心”というものが気付けるかは分からない。
だけど誰かに言われて──特に信頼を得ているだろうあたしの言葉なら盲目に決め付けかねない。
それじゃあいけないわ。これはにとって、とても大切な感情なんだから。
「あの、ごめんね。1人で考えてたら急に怖くなっちゃって。
本当はダメだって分かってるんだけど何時もつい頼っちゃってる。
でもこんなの野ばらちゃんにしか話せなくて、それで・・・」
「良いのよ。あたしで良ければ何時だって力になるわ。
大切なの為だもの。一肌でも二肌でも脱いじゃうわよ」
それがあの男じゃなければもっと応援でき・・・・ないわね、あたしは。
大切なが汚い男の傍にいくなんて考えるだけで耐えられないし許せないもの。
それでも・・・それでもこの子の笑顔を曇らせたくない。
自分で考えて、決断した結果ならそれで良いの。
だって折角あの家から得た自由だもの。自分の為に使わなければ損でしょう?
「ありがとう、野ばらちゃん」
そうよ。この笑顔を守れるのなら、あたしはそれで良い。