鳥篭の夢

泡沫の夢/後



妖館のボクの部屋まで行くと、たんは物珍しげに辺りを見渡していた。
車の中で簡単な説明はした。
たんの今の記憶からかなりの時間が経っている事。だから見覚えのない物も多いだろう事。
すぐにでも人格が消えるかもしれないって事は・・・・言えなかったけれど。

「残夏様」

もしかしたら彼女は、過去の記憶が蘇った状態にあると思っているのだろうか?
そういう事も稀にはあるから。
目線で彼女を追っていれば、不意におきっぱなしにしていた薬を手にとってじぃと眺めた。
それからボクの方へと向き直って少しだけ不安そうな表情を見せる。

「残夏様は今生もお身体は弱くいらっしゃるのですか?」
「そうだね~、強くはないかな。たんは?」
「あの時よりずっと身体は軽く感じているので、前よりは良いのだと思いますわ。
きっと今のアタシは、アタシの時より色んな物を自分で見て感じられるのですね」

“羨ましいです”と、言葉を零して微笑む。少しだけ、悲しげな。

「今度はきっと、貴方様よりも少しでも長く生きられますね。
また貴方様を置いて逝くのはとても心苦しいですから」
たん?」
「残夏様、アタシ・・本当は自分でも分かっているんですよ?最初から。
今のアタシには、今まで生きてきた今生のアタシの記憶が無いんです。
だから──アタシ自身が今とても不自然なのだと、分かるんです」

「・・・っ・・・・・!」

強く抱きしめる。何だか悲しげに微笑み続ける姿を見ていられなかった。

「消える事は怖くはないんです。
でも、また貴方様に別れを告げなければならない事が少しだけ・・・」

言葉は最後まで紡がれる事は無く途切れた。
それから唇を一度引き結ぶと、ボクを真っ直ぐと見つめる。

「アタシが死の間際に思っていた事は、貴方様が戻ってこない事だったんです。
あんな姿を見せるのはとても怖かった。息を引き取る最期の瞬間を見せたくなかった。
それに・・・残夏様の悲しい顔を最期に見たくなかったから」
「ボクは後悔してきたけどね~。
何も出来なかったけど、それでもの最期には傍にいたかったから」

髪をひと束掴んで、口付ける。今でも思い出せるあの記憶はとても冷たくて・・。
だからこそ今彼女が目の前でいてくれて変な錯覚を起こしかけていた。
今と昔の混同。死んだ彼女が目の前にいて、だけどまた消えてしまうのだと、考えただけで苦しい。

「今回は、傍にいても良い?
・・・本当はもうを喪いたくないけど、せめて・・・」

せめて、傍にいさせてほしい。今度こそ、最期の終わりの時まで、ずっと傍に。
それにはきょとんとして見せて、それからふわりと綺麗に微笑んだ。

「残夏様は不思議な事を仰られますね。
アタシとしていなくなってしまう事は確かに寂しいですが・・・。
でもこの記憶が消えたとしても、それは死ではないでしょう?
今いるアタシも、今生のアタシも同じ自分です」

両手でボクの手をとって優しく包み込んで・・・。

「たとえ記憶は受け継がれなくとも、この巡り続ける魂は決して忘れたりしません。
アタシが貴方様に愛された事も。アタシが貴方様を愛した事も。
だからこそ遠い過去の記憶である筈のアタシが今ほんのひと時でも此処にいるのでしょうから。
残夏様、どうか忘れないでくださいませ。
新しい生を受けたとしてもアタシが貴方様を愛した事実があったという事を。
アタシは何時だって変わらず、アタシ自身なのですから」

それは知っていた筈だった。それは理解していた筈だった。
だけど彼女に言われなければ気付けなかったと思う。
“彼女”という記憶に固執していたのは紛れも無いボク自身だ。

込み上げてくる感情を抑えられなくて、キスを落とす。耳に、頬に、首筋に、腕に・・。
これ以上は押し倒しそうになるから流石に止めといたけどさ。
蜻たんにも、戻ったたんにも言うつもりはないけど。まぁ口じゃないし許してよ、なんて。

それからポツリポツリと他愛無い話をしてから、うとうととする彼女の髪を撫でる。

「残夏様・・」
「ん~?何、たん」
「ありがとうございます。アタシの事、ずっと愛してくださって」
「あはは、今更だよ~」
「それでも・・・嬉しかったです。ずっと、ずっと・・」

最後は消え入るようにしてたんはそのまま眠ってしまった。
口元には安らかな微笑みを浮かべて。まるで小さな子供のような寝顔。


そして目が覚めた時、彼女の記憶は戻っていた。
起きた瞬間は酷く動揺していたけど、一通り説明をしたら納得してくれたのかな?
何度も頷いて、それから自分の不甲斐無さに悶え苦しんでいた。
可愛いなぁ。たんって本当に庇護欲をかきたてるというか、本当に──。

「ねぇねぇ、たん」
「ん?」
「今更だけど好きになっても良い?」
「・・・・・へ?」

一拍置いて、たんの顔が一気に朱に染まった。

「え?え?アタシは、残夏君は友達だし好きだけど。
えぇっと、それって・・・」

“違う意味なの?”なんて恐る恐る言葉を続ける。動揺する姿なんて珍しいなぁ。
最初から諦めずにアプローチかけたら別の未来が待ってたのかも~、なんて期待しちゃいそうな程。
いっそこのまま奪ってしまえたら・・・なんて感情が疼きかけて、だけどすぐに引っ込めた。
そんなのはボクらしくない。たんを不安にさせるって視えなくても分かるしさ。

「あっはっはー。たん、真っ赤だ。可愛いなぁ」
「残夏君・・?」
「うん、軽い冗談だよ。それにたんには蜻たんがいるしね☆
流石に幼馴染の恋人を強奪しようなんて思わないよ~」
「あ、だよね!・・・もぉ、ビックリしたぁー」

僅かに安堵の溜息を吐く。それから微笑んで見せたそれが若干、彼女に重なった。
唐突に理解してしまうのが・・納得してしまうのが嫌だ。やっぱり“彼女は彼女”なんだって。
性格は違えど、出逢いも違えど、それでも紛れも無い彼女自身なんだ。
何度も巡って自分でも理解してた筈の事を今更に突きつけられたような感覚。

「好きなのは本当だけどね。だからさ、たん。これからも仲良くしてね~」
「うん!こちらこそ仲良くしてね」

今更に抱いた想いを表に出せるはずが無い。
だから・・だからせめて、あの泡沫の夢と共に甘い記憶に沈ませて・・・。



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