第二章/獣‐八
ゆらり。小さな蝋燭の火。それが少しだけ夜の闇を退ける。
そんな頼りなげな灯りの中、マミは静かに針仕事をしていた。気持ちいい空間。
あたしは主の隣でぼんやりと丸まってこの時間を享受する。
「──ごめんな、兄ちゃん」
不意にマミの謝罪。それにあたしは顔を上げた。
理由は分かる。さっきの地主の事。申し訳なさそうなマミの顔。
「・・・何故お前が謝る?」
「え?やー・・・嫌な思いさせちまっただと思って・・・。
でもきっと地主さまも怪我が治るまでは許してくれる筈だべ」
あの時。マミは一生懸命に頭を垂れ、地主に主が此処にいる事への許しを請うていた。
唯、必死に。困った顔をして。マミは如何してそこまでしてくれるんだろう?
優しいヒト。本当に、本当に優しいヒト。あたしには絶対に分からない。
アタシなら・・これはアタシになら分かる?あっちは元々ヒトだった筈だから。
「・・・・あん時」
不意に静寂を破る声。ちりん、綺麗な鈴の音。
「おら、咄嗟に“イトコ”だって言っちまったけど・・・お前さま、本当は・・・」
じっと見つめる瞳。マミの言葉が途切れた。
主は眉ひとつ動かされずに言葉の続きを待つ。だけど続きは無い。
マミの唇が僅かに震えるのが見えた。そのまま言葉を飲み込むみたいに息を飲む。
まるで、何かが壊れるのを恐れるみたい。何故?
「・・・いや、やっぱ何でもねぇ。
さ。兄ちゃんもも、もう寝て──」
「昔」
ぽつり。主の唇から御言葉が漏れる。
「フォウルという神がこの世界に現れた」
『キュ?』
主・・?如何なされたのですか?
マミも驚いた顔。でも言葉は無い。唯、主の御言葉にじっと耳を傾ける。
「その頃、この地では多くの国々が互いに争い合っていた。
・・・人々はフォウルに争いの無い平安な世界を願った。
フォウルは願いを聞き入れ、国々をまとめ帝国を築き、自ら初代皇帝となった」
それは主の昔のお話。過去に起こった出来事。
「しかし、そこまでで・・フォウルは力尽き、永い眠りについた。
神として完全ではなかったのだ。だがフォウルは悟っていた。たとえ・・・」
主のその綺麗な瞳に昏い感情が宿る。主・・・。
「たとえ神として完全だったとしても人々の願いを叶える事など出来ないと・・!何故ならヒトは──」
「あの・・っ!」
ぴたりと主の御言葉が止まる。顔を上げて・・・・マミ?悲しそうな顔。
いつの間にか主の目の前に座って、その御手に自分の手を重ねていた。苦しそうな顔。
如何してマミが苦しそうな顔をするの?マミが苦しかったんじゃないのに。
「あの・・・おら、お前さまの言ってる事、良く分からねぇ。
けど・・・分からねぇけど、そんな悲しそうな顔されたら・・」
「っ!」
驚いたような主のお顔。それから苦々しそうに背けて・・・。
大丈夫です、主。あたしはそっと窓枠から部屋を抜け出す。出来るだけ音を殺して。
あたしがいたらきっと邪魔になるだろう。主としての姿を見せ続けねばならないだろう。
それではいけない。主も、ひとつの感情を有した存在なのだから。
「・・・・・やはり、おかしな人間だ。お前は・・・」
窓越から聞こえたその御言葉は風に乗って消えていく。
それで良い。貴方様の弱さを知るは、マミとこの空の月だけで・・・・。